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Column

[2020.03.27] なぜ、賄いに重きをおくのか

 美容室には大変珍しいと言われる、「賄い」を始めて今年の3月で丸5年が経過する。よく「美容室で賄いがあるのは珍しいですね。」「毎日そんなことやって面倒ではないですか?」と聞かれることが多いので、賄いの事に少し触れておきたい。

 

 たしかに、美容室で賄いが用意されていることは全国的に見ても、稀なことであると思う。所謂、徒弟制度が続き、住み込みで働くことが当たり前であった私の母の修行時代ならともかく、現代の美容室でスタッフ全員分の賄いを用意しているという話はほとんど聞く機会がない。それほど、日本の美容室の労働環境において「食」という観点は、経営側から見ても労働側から見ても、二の次三の次になっていると言っても過言ではない。

 

 実際に、美容室は病院のように午前と午後でお昼休憩を挟むような営業形態を採用しているところはほとんどなく、お客様の施術内容次第で一日の営業の中で手を休めることが出来ず、営業最後まで施術に携わるケースも多々あり、単純に食べる時間がないという側面もある。そのことが否定的に捉えられる事よりも「忙しいことは、結構なことだ。」といった類で肯定的に捉える風潮が残念ながら定着している。私が小さいころ、美容師である母はよくお客様の施術の合間をみて、スティックパンを温かい紅茶につけて柔らかくして食べていた。もちろん、そのような食べ方を好き好んでやっていたわけではなく、時間がない中でどのようにお腹を満たすかという工夫から編み出した食べ方であるし、トイレに行く時間すらなく、我慢しすぎて膀胱炎を患ってしまったこともあった。それくらい、昔の美容室は忙しかった。NHK『プロフェショナル 仕事の流儀』に美容師として初めて出演を果たした某人気美容師は、番組の中で営業中にマクドナルドのチキンナゲットを掻き込みながら、「ご飯を食べる時間があったら、一人でも多くのお客様を担当したい。」と言ってのけた。つまり、現代でも食べる事や休憩する事を放棄してでも、「忙しいことは、結構なことだ。」という風潮は、あまり変化していない。ご飯も食べずに忙しく働く、もしくはご飯も食べる暇がないぐらい多くのお客様を担当できることが美徳とされる傾向が定着しているが、私はその風潮に疑問を呈したい。

 

 このことをスポーツや他のビジネスに置き換えると、どう考えることができるだろうか。休憩も食事も取らずに仕事を続けることは、パフォーマンスの維持という観点、頭を使う創造力という観点、人間の幸福という観点のいずれにおいても、前近代的、非科学的と言えるのではないだろうか。もし、美容というサービス業が単純作業を速くたくさん数をこなすという仕事ではなく、スポーツやアートのようにクオリティの高いパフォーマンスを維持し、創造力によって高付加価値なモノを生み出さなければならない仕事であると定義するならば、私は食という観点を軽視してはならないと考えている。

 

 フランス料理界の三ツ星シェフである、ヤニック・アレノ氏はかつてテレビのインタビューで「人生の大半を過ごすこととなる厨房は、私にとって創造の場であり、喜びの場でなければなりません。」と述べた。アレノ氏の言葉に準えるならば、美容師にとって人生の大半を過ごすこととなるサロンを、創造の場であり、喜びの場とするならば、コンビニとファストフードで食事を済ませるような場所であってはならない。

 

 フランスの法律家で美食家であったブリア・サヴァランは『美味礼賛』の中で、「君が普段食べているものを言ってごらん。君がどんな人間であるか当ててみせよう。」という名言を記したのは1825年。日本で言うと、江戸時代であり「異国船打払令」が出された時期だそうだ。サヴァランの言葉を打ち払うような姿勢をとるのか、それともそれに恥じないような姿勢をとるのか。無論、私の答えは自明である。